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ジェームズ・ディーン James Dean

ジェームズ・ディーンで思い起こす 青春の「刹那」「やるせなさ」

「ポルシェ550スパイダー」は1億円をかけて捜索中

「青春の象徴」「ティーンエージャーの伝説的ヒーロー」といわれるジミーこと、ジェームズ・ディーンが24歳の若さで急逝してからちょうど半世紀が過ぎた。交通事故に遭わず生き長らえていたら、今年74歳になっていたはずのジミー。一体どのような熟年俳優になっていっただろうか―。彼の出演作品を観た人なら、そんな思いがよぎることもあるだろう。

AP通信によれば、今年も9月30日の命日に、彼の出身地であり墓のある米インディアナ州マリオンにファン数百人が集まり、ジミーの死を悼むキャンドルサービスを施し、墓に花束やカードなどを手向けたという。カリフォルニア州当局は50周忌にあたり、彼が愛車で衝突事故を起こした州内の交差点の名を「ジェームズ・ディーン記念交差点」と改称した。また、米イリノイ州にあるボロ・オート・ミュージアムは事故当時に彼が乗っていた「ポルシェ550スパイダー」を捜索するため約1億円を用意した。その車は当時、ジミーの友人が買い取ったのだが、事故から3年後、交通安全のデモ用に警察に貸し出した際、運送する途中でその所在がわからなくなっている。

「髪の毛一本」まで寂しさを表現

ジミーといえば、赤のスウィングトップにブルージーンズ、白ニット、カウボーイ姿という作中の出で立ちや、ロングコートを羽織ってニューヨークのストリートを颯爽と歩くプライベートの格好が有名だ。彼の死後、世界中の若者がそのスタイルを真似たものだ。そして忘れてはならないのが、あの上目づかいの憂いのある瞳、寂しげな笑み、抑圧された感情を醸し出す独特の顔つきだ。当時、多くの女性が彼の物憂げな様相に母性本能をくすぐられた。「表情はもちろん、肩が、足先が、髪の毛の一本までが、無意識に寂しさを表現してしまう天才」と評した本もある。

こうした寂しげな風情は、わずか9歳のときに母親に癌で先立たれ、子育てに自信がなかった父親により親戚に預けられたジミーの不遇な家庭環境も影響しているに違いない。高校卒業後、再婚した父親は息子を呼び戻したが、彼が新しい家庭に解け込むことはなかった。ジミーはすぐさまUCLAの演劇講座に通い始め、学生寮に移り住み、演劇の本場・ニューヨークに旅立っていった。

その後、彼はいくつかのテレビドラマや映画、舞台に端役で出演し、徐々に脚光を浴びるようになった。そして、ついに「エデンの東」の脚本家・ポール・オズボーンに見出され、主役のキャルに大抜擢される。ところが、アドリブを存分に取り入れた彼独特の演技や奔放さは共演者の反発を招くことが多かった。それは「あの子が台本通りに台詞を読むように言ってくれ!」と父親アダム役のレイモンド・マッセイがエリア・カザン監督に懇願するほどだった。しかし、それはカザンが父子対立の図式を取るための戦略でもあった。カザンは敢えてジミーを自由にさせたのだ。

それは戦争で値上がった豆の買い占めで儲けた金を、父親に誕生日プレゼントとして渡そうとするシーンでも窺い知ることができる。受け取りを拒否されたキャル役のジミーが突然、父親役のマッセイに本番中に抱きつき、その手中からドル紙幣の束をすり落として泣き崩れたのだ。本気で狼狽するマッセイを尻目に、ジミーは父親に受け入れられない絶望を全身全霊で体現した。実のところ、後姿のマッセイはジミーに演技を止めるよう促していたのだが、彼は悲痛な叫び声をあげながらフラフラと部屋を出ていった。この映像はそのまま採用され、観る者を釘付けにする重要なシーンとなる。

迫真の演技でスタッフからすすり泣きが……

次に主演した「理由なき反抗」では前作以上にジミー自身の演技が採用された。カザン監督からジミーの破天荒ぶりについて聞かされていたニコレス・レイ監督は、もともと役者の意見を受け入れるタイプの監督であり、多くのシーンに彼の意見を採り入れた。たとえば、不良たちが主役のジム・ストークにからかって名づける「闘牛士」というあだ名も、じつは闘牛好きのジミーのアイデアを受け入れたものだ。ジムという役どころがジミー自身に似ていたことも功を奏した。言わば、監督は父親に怒りを覚えながらも、その愛情を懸命に求めていたジミーの個人的な経験を活かしたのである。友人の亡骸にすがりついていたジムが歩み寄ってきた父親の足にしがみつくシーンも自然な感情のなせる技だった。

ところが、最期の出演作「ジャイアンツ」の監督、ジョージ・スティーブンスのもとではこうした「ジミー流」がまかり通ることは少なかった。巨匠・スティーブンスは役者の演技をあらゆる角度から撮り続け、後にその膨大なテープを編集するという大変骨の折れる方法を取っていたため、ジミーは監督のやり方に反発を覚えていた。ただしこうしたスティーブンスに対するジミーの憤りやピリピリした雰囲気は結果的に、周囲から孤立するジェット・リンクをリアルに映し出すのに一役買ったようだ。

そんななか、この映画にもジミーの意見が採用されたシーンがひとつだけある。ジミー演じるジェット・リンクが石油王として成功し、自分の経営するホテルの会場で泥酔して演説する、あの印象深い場面だ。リハーサルのときから本番さながらに、ジミーは腹の底からえぐり出すような声で延々と何かつぶやきながら、よろめき、体を反り返らせ、周囲に体をぶつけながらのた打ち回り、ついにはテーブルごとひっくり返って倒れ込んだ。金と名誉は得たものの愛を得ることができなかったジェット・リンクの果てしない孤独と絶望を、身を持って表したのである。その十数分に及ぶ息を呑む演技に、すすり泣くスタッフさえいたという。

全力疾走のまま、生を突き抜けていったジミーの演技には、内に秘めた孤独や寂しさを滲ませるものが多い。もし生きていれば、さらに役者として飛躍して、また異なった一面を我々に見せてくれていたに違いない。

煙草を横にくわえてフッと笑みをこぼす独特の表情、寒そうに肩をすくめる仕草、遠くの景色をじっと見つめる憂いを帯びた瞳。そんな彼の姿を観るたび、私たちは青春の「刹那」と「やるせなさ」を思い起こす。

フィルモグラフィー

「エデンの東」1954年
「理由なき反抗」1955年
「ジャイアンツ」1956年
「フォーエヴァー・ヤング」2005年
「センス・メモリーズ」2005年
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