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「しずむ夕日」を主役に、まちづくり!
まちを活性化させた“カリスマ”の次なる目標とは?(第1回)

「人間牧場」主 若松進一さん

わがまちの観光財産は「夕日」です

「ふたみシーサイド公園」から見た、双海町の夕日。静かな海を見ながら、ゆっくりと沈む夕日が満喫できる。

「しずむ夕日が立ち止まるまち」をご存じですか?それは、穏やかな瀬戸内海に面した愛媛県は双海町(現在は合併して伊予市)のこと。人口6000人足らずの小さなまちながら、「日本一夕日が美しい」と自認し、夕日をキーワードにさまざまなまちづくりを行ってきました。その結果、20年前はゼロだった観光客が、今ではなんと年間55万人までになったほど。

「でもね、当時は“落ちる”“沈む”“没する”…夕日にはマイナスイメージばかり。夕日でまちおこしをしてどうなると、100人中99人が反対しましたよ」
そう話すのは、まちづくりの中心的人物だった若松進一さん(63歳)。双海町の教育委員会や地域振興課長を歴任し、2003年には、地域の観光振興を成功させたと「観光カリスマ」にも選ばれました。

今回は、若松さんのオリジナリティにあふれたまちづくりについて紹介しつつ、退職された現在、新たに情熱を傾けていることをご紹介しましょう。

夕日を背にしたコンサートがきっかけに

双海町の海沿いを走る国道には、「夕焼けこやけライン」という愛称がついています。年に一度は、海に近い無人駅「下灘駅」を会場に、夕焼けプラットホームコンサートが開かれます。「ふたみシーサイド公園」内には、恋人岬のモニュメントが設えられ、春分と秋分の日には、モニュメントの穴に夕日がすっぽりと入り込むことで知られています。これらすべてが、若松さんらが手がけたまちづくりの産物です。

2003年、国土交通省が認定する愛媛県の「観光カリスマ」に選ばれた若松さん。
「夕焼けプラットホームコンサート」の様子。若松さんが1986年に立ち上げて以来、まちの定番イベントとして続いている。


なぜ夕日でまちおこしをしようと考えたのか、卓抜なアイデアはどこから生まれたのでしょう。きっかけは、ある“よそ者”の何気ないひと言でした。

「僕を取材に来た県外の方が、下灘駅のプラットホームで夕日を眺めて、『今まで見たどの夕日よりもきれい』と言われたんです。そこで初めて、自分の中にある夕日への思いがわかった。調べてみると、全国に夕日の名所は多いけれど、うちのまちの夕日も何らひけを取らない。これでまちづくりをやってみるかと、仲間との話し合いを重ねてたどり着いたのが、夕焼けコンサートでした」

沈みゆく夕日を背にしながら、駅のプラットホームで開かれたコンサートは、大成功。1000人もの観客が集まったそうです。「たったひとつのコンサートがまちの運命を変えていくきっかけになったのかな」と、若松さんは振り返ります。

ポケットに穴を開け、花のタネをまく

次に取り組んだのは、海岸線を走る国道と、鉄道の線路に挟まれた斜面を花でいっぱいにしようという計画でした。夏は夕日を見に訪れる観光客が増えたものの、寒い冬にはやってきません。しかし、海抜ゼロメートルの温暖な気候ゆえ、ほかのまちよりも早く花が咲くことに着目。菜の花を植えようと考えました。

ポケットに穴をあけ、まいたタネが、今ではこんな花畑に育った。海にしずむ夕日とあいまって、このまちだけの光景をつくりあげる。

ところが、JR側は斜面への植栽にはNO。そこで、どうしたか。若松さんは、穴の空いたポケットに菜の花のタネをいっぱい入れて、斜面をみんなで歩いて、タネを落とすという暴挙(?!)に出ます。やがて、線路脇の斜面は菜の花の黄色で埋めつくされるように。すると、どこよりも早く春を感じようと、県内外からたくさんの観光客が訪れるようになりました。

「花だけだったら、多分ほかのまちにもいっぱい咲いている。でも、一両しかない鈍行列車が菜の花の脇を通り抜けていく、そのきわめてローカルな風景こそが、このまちの魅力となり、人を呼び寄せる景観になっていくんだと思います」

かつて、「うちのまちには何もない」と嘆いたまちの人たちの姿に、これではいけないと発奮し、若松さんはまちづくりを目指しました。今では、子どもたちまでもが「うちのまちには夕日がある」と口々に言えるようになったといいます。

「でもね、自分の人生にとってそれは何だと尋ねられたら、多分それはそこで終わっている。もちろん、まちづくりを通してできた、人とのつながりは大きいけれど、いつまでも自分の成果としてこだわり続けていたら、まわりへの押し付けになるでしょう。僕はここにきて、家族や地域との向き合い方が変わってきたような気がします」

それには「人間牧場」をつくったことが大きいと言う若松さん。さて、「人間牧場」とはいったい何でしょうか?続きは次回に。


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