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第一人者を脅かす若きヒーロー。その登場で、舞台に注がれるあまたの視線が熱気を帯びる。囲碁の世界も同じです。
まだ若いトップ4の平成四天王(山下・張栩・高尾・羽根)に挑む 井山裕太 の登場。物と情報の溢れる社会が第三次石油危機を迎えている平成中期・今の日本で、過去の歴史と同じように新たな囲碁ブームが生まれるかもしれません。
元禄の繁栄にさしかかる17世紀後半。全国にその名が轟いた4世本因坊道策の弟子で、道策を超える天才だったと言われてきた小川道的(1669−1690)。
爛熟した江戸文化が頂点に達した19世紀の中頃。道策に並ぶ碁聖と呼ばれた12世本因坊丈和が、少年の碁を見て「道策以来の碁豪」と喜んだという桑原秀策(当時の名は安田栄斎、14世本因坊秀和の跡目となり本因坊秀策)。
経済が発展した1990年代前半の韓国で囲碁が国民的人気競技になったのは、李昌鎬(イ チャンホ 1975−)が現れたから。日本で修業、帰国したのち「囲碁帝王」と呼ばれだ薫鉉が内弟子として育てた李は11歳1ヵ月で入段し、次々に師からタイトルを奪いました。16歳6ヵ月の時、李は尊敬する林海峰(日本棋院九段)を破って世界戦初優勝。この夏33歳になる李の世界戦優勝21回は驚異的です。
第33期名人戦の挑戦者は8月のリーグ最終ラウンドを待たずに、日本棋院関西総本部の井山裕太八段(三大棋戦挑戦者になると八段昇段の規定)に決まりました。日本棋院東京本院所属でない棋士が名人戦挑戦者になったのは初めてです。
井山八段は平成元年5月24日生まれ。張栩名人に挑む七番勝負が始まる9月は弱冠19歳3ヵ月という若さで、大いに注目されています。入段は平成14年4月(12歳)。プロ歴はまだ6年半ですが、16歳4ヵ月で初タイトル獲得、17歳10ヵ月でリーグ戦参加など数々の日本最年少記録を更新してきた井山は、実力の評価も極めて高く、日本碁界の期待を一身に集めている存在です。
プロ碁界に長年身を置いている私は、「天才」や「神童」という言葉を使うことにためらいを覚えます。実感をもって口にすることは滅多にできません。少年時代の井山が神童であったかどうか、師匠の石井邦生九段をはじめ、身近に見てきた大阪の人たちは何と言うでしょう。
一流棋士の大多数が15歳以下で入段している碁の世界。その中で「天才」と呼ぶべき棋士を探すのは難しい。特別に早熟な天才を「神童」と呼ぶのでしょうか。とすれば、10歳そこそこでプロ初段になり、10代半ばで一流の域に達した者でなければ、囲碁の神童とは言えません。
棋聖道策はやや晩成でした。没後40年を経て、明治の後期から棋聖と呼ばれるようになった本因坊秀策は満10歳で初段を許されましたが、年長の好敵手・太田雄蔵と互先に進んで上手(七段)に昇ったのは20歳のときです。
「神童であった」とためらいなく私が言える棋士は二人。一人は道策が跡目に据え、数え22歳で夭折した小川道的。もう一人は現代の李昌鎬です。
(続く)
(2008年8月発表作品) |